編み手インタビュー vol.2 石巻なごみ会
今回ご紹介するのは、武山たか子さん、武山幸子さん、三條照子さんの仲良し3人組。震災前からご近所同士で、その付き合いはなんと30年以上に及ぶとか。現在は同じ仮設住宅にそれぞれ居を構え、石巻なごみ会のメンバーとして布ぞうりを製作しています。震災という苦難と悲しみを乗り越え、手仕事に活路を見出したたくましいおかあさんたち。三人の明るい笑い声が響く集会所には、他の拠点からも編み手さんたちが自然に集まってきます。
──みなさんは、震災前はどんな生活をされていたんですか。
武山幸子:農業と漁業。
武山たか子:うちも同じ。
三條照子:私は勤めに出ていて、田んぼもやってたの。
──それぞれの将来、つまり老後についてはどんな風に考えていましたか。
幸子さん:みんなで温泉行きたいねとか、そういうのは度々あったけど(笑)、まぁ体が弱って働けなくなるまでは働くと思ってたの、みんな、普通にね。
照子さん:結局ほら、半農半業だから仕事がなくなることはないわけ。
たか子さん:体が続く限りは年取ってもみんな田んぼに出るし、海に出るし。
幸子さん:そうだよね、将来どうするって考えたことないね。
照子さん:だって生きてる限り、仕事はいくらでもあるんだもん。
──もともと旧河北町(現石巻市)のご近所同士で。
幸子さん:嫁に来て以来ずっと。私は40年以上になるね。
照子さん:私は35〜36年ぐらいかな。嫁に来たら、もうこの人たちいたもんね(笑)。
たか子さん:そこに住んでればみんな友達になるの。
照子さん:軒数でいえば130軒以上あったから、集落としては大きいほうだったけどね。みんな顔見知りだったよ。
幸子さん:それが震災で200人近くの人が亡くなっちゃってね。集落も壊滅状態で。
照子さん:海のそばっていうか、海と繋がってるような土地だったから、そりゃ仕方ないよね。私たちのうちも全部流されちゃった。
──震災当日は、それぞれどうされていたんですか。
照子さん:私はちょうど仕事が休みで、イオンに買い物に行ってて、そこで地震にあったの。防災無線で大津波が来るって放送があったけど、渋滞で車は進まないし、余震も次々来てさ、車がボンボン揺れるから怖かったぁ。目の前で電信柱も倒れるんだから。一晩は車の中にいたのね。でも、寒くて寒くて耐えられなくて、役場に行って休んで、それから避難所に行ったの。うちのほうが津波で流されたことも、3日後まで知らなかったんだよね。でも3日後にほら、うちのお父さんと会えたから。
たか子さん:私たちは一緒にお茶飲んでたの。この人(幸子さん)のうちで。もう、揺れて揺れてすごかったもんね。
幸子さん:うちの玄関が枠ごと揺れるっていうのかな。左右にぐらぐら傾くから、外に出るタイミングも掴めないわけ。1歳半の下の孫を抱いてさ、でも出るに出られない。上の孫は幼稚園に行ってて、ちょうどお母さんが迎えに出たところだったわけ。
たか子さん:歩けない状態だったね。ビニールハウスの柱につかまって、ようやく少しずつ歩けたの。
幸子さん:こっちは防災無線も鳴らなかったし、とりあえず津波来るかもしれないから逃げようってお寺に向かったんだよね。
たか子さん:だってあの地震だもの。
幸子さん:けっこうね、昔から地震が起きるたび、防災無線で津波来るよっていう放送があったから、とりあえずみんな山のほうに逃げたね。ただ、2回目の余震のときに、地面の下にゴーッて水の流れる音したのが怖かったぁ。
たか子さん:それでも、集落が波に飲まれるまで30分ぐらいは時間あったね。
幸子:地域の人たちはみんなお寺に集まってたよ。みんな顔見知りだからさ、走ってる車に乗れたら乗って、みんなそれぞれ寺に向かったの。家族もそれぞれそうしたの。でも、すぐに「津波来たぞー!」って。
たか子さん:「すぐ山登れー!」って言われてね。
照子さん:道路ないとこ登ったんでしょ?
幸子さん:そうだよ、とりあえず目の前の斜面を草つかみながら登った。
照子さん:無事だった人は、みんな寺のほうから山にたどり着いたみたい。
たか子さん:うちのお父さんは海にいたんだけど、次の日歩いて山まで来たもんね。お寺に向かったけど間に合わなかったみたいだよ。とっさの判断で逃げられてよかったけど。でも、結局3日も山にいたのね。
照子さん:だって、山に逃げてるって誰もわかんないもの。うちの地域は全滅だと思われてて、自衛隊が救助に行ったのが3日目。家族を心配して自力で探しに行った人がいて、それでようやく生きてる人たちがいるってわかったんだよね。
──3日間、何を思って過ごしていたんですか。
幸子さん:何も考えてなかったよ。何が起きてるのかよくわかんなかったしね、とりあえず木集めて火焚いて。とにかく寒さがすごかったから。安否がわかんない人もいっぱいいたけど、あんまり悲しいとか感じなかったね。
たか子さん:何も考えないでただ木燃やしてたね。せっかく逃げたのに、山で座ったまま亡くなっていった人もいたから、やっぱり自分の命守ることで必死だったんだじゃないの、みんな?
──それで、ある種の興奮状態だったのかもしれませんね。
たか子さん:そうだったのかもしれないね。家が流されたのもわからないしさ、山の中からは見えなかったから。
幸子さん:でも音が怖かったよ。翌日の明け方まで津波が続いててね、余震も同じぐらいまで大きいのが繰り返しあったの。山にいたって波の音が聞こえてきて、とにかく引き波の音がものすごかったもの。バリバリバリ、ガチャン、ドーンって家が流されてく音だったんだね、あれね。
照子さん:なーんにもなくなったもんな。きれいさっぱりだよ。うちなんかもう深いとこだよ、海の中だよ(笑)。
たか子さん:ほんとだよ(笑)。
──笑ってる…。
照子さん:もう、笑っちゃうくらい何もないんだもん(笑)。
たか子さん:だってうちだけじゃないから。みんなそうだもんねぇ(笑)。
照子さん:ただ、私は避難所が耐えられなかったよ。4ヶ月近くもいたんだもん。段ボール敷いてさ、たくさんの人と一緒でさ、あれはイヤだったねぇ。いびきかく人はいるし、歯ぎしりする人はいるし、お酒飲んで喧嘩する人はいるし。
幸子さん:私らは別の避難所だったの。こっちはそこまでひどくなかった。
照子さん:夜は眠れないしね、血圧が上がって、もうダメかと思ったよ。だからこれがいつまで続くんだろうと思ってさ。でもね、何にもなくなったところに、たくさん支援物資が届いて、本当にありがたいなと思ったよ。その後、仮設住宅に入って家族だけになって、だいぶ落ち着いたね。
──この仮設住宅の集会所が、みなさんの手仕事の拠点になったわけですね。
照子さん:最初はね、お地蔵さんのマスコット作ってたの。瀬戸内寂聴さんの本で見て、真似して作ってた(笑)。亡くなった方の供養にもなるし、お地蔵さん作って、それを見てれば自分たちの気持ちも安らぐし。それで吊るし雛なんかも作ったり色々してたら、知り合いから布ぞうりやってみないかって言われたのね。「下手でも何でも出来高払いだから」って言われて、そんならやってみるか、って(笑)。
幸子さん:みんなほら、ずっと農業やら漁業やら仕事してきたから、手持ち無沙汰でね。そのとき誘われたから、みんなで講習受けてみることにしたんだわ。東京から先生来るって言うし。
──最初に布ぞうり作りを見て、どう思いました?
照子さん:あー無理ムリ!って思った(笑)。でもそのとき、たまたま及川さんがつきっきりで教えてくれたの。それがわかりやすかったんだよね。最初に先生から教わった編み手さんたちが、手分けして私たちに教えてくれたわけ。それが、私たちのところは及川さんだったの。
幸子さん:でも最初はやっぱり難しかったよ。
照子さん:ほんとだね。今はやり始めると止まんないのよ。でもね、たまにやりたくない時があんの。そういうときに編むと失敗するんだよね。精神的に向いたときはいっぱい作れるけど、ダメなときはダメだね。
──そのうち、商品としての品質を求められるようにもなりました。
照子さん:そうなんです!最初は下手でも売れるって言われたのに、話が違うんじじゃないの!?って(笑)。
幸子さん:しかもやればやるほど難しくなんのよ。美術の成績ゼロだから色合わせも苦手だし(笑)。ただ、買ってくれた人に「履き心地がいいです」みたいに言ってもらえると、やっぱり悪い気しないんだよね。こんなに注文もらえるとはまったく思ってなかったから、ビックリもしてるけど。
照子さん:売れるってことは嬉しいんだけど、いやぁ、大変だ(笑)。若い人たちにもっと編んで欲しいんだけど、できないって言うんだわ、みんな。難しいって。なごみ会だって最初は10人ぐらいいたのにね、手が痛くなるとかでみんな続かなくて。力の入れ加減は、まぁ、コツだと思うんだけどね。
幸子さん:編み方もさ、出だしがややこしいから、そこで悩んでしまうとできなくなるんだよね。
たか子さん:いや、だって、慣れててもちょっと忘れることあるぐらいだから、年のせいか(笑)。
──今はどれぐらいのペースで編んでいるんですか?
幸子さん:ひゃあ!
──あはは、面白い反応です(笑)。
照子さん:真面目にやればね、一日に2〜3足はできるんだけどなぁ。
たか子さん:なかなかそこまでいかないもんね、疲れるもんね(笑)。でも、自分のペースで編んでても許してくれるから、<ふっくら布ぞうりの会>はやさしいよ(笑)。
幸子さん:うまく編めないときがあったりとか、あと布の裁断したりとかで、たまにここ(集会所)に集まったりね。
照子さん:なごみ会は一応5人いるんだけど、2人がお地蔵さん作ってて、私たち3人は布ぞうり作ってるの。
たか子さん:布ぞうりで頑張るほかないもんね、年も年だから(笑)。
照子さん:そうだよ。やっぱりね、これからの生活のことを考えたら、不安は不安だよね。復興公営住宅に入れるのも3年後だし。だから布ぞうり、少し値段上げてもらわないと(笑)。
幸子さん:及川さんが海外でも売れたらいいねって話してたけどね。
照子さん:でも海外だと、外人さんは足でかいから編むの大変だわ!
──あははははは、確かに(笑)。ただ、復興公営住宅にみなさんが入居できるのが震災から7年後と考えると、国に文句のひとつも言いたくなりますね。
照子さん:そうでしょ〜? だから税金の無駄使いしてないで、早く復興公営住宅建ててくれないと!と、おばちゃんたちが言ってましたって書いてね(笑)。だって、それまで(命が)もたない人いっぱいいるんだもん。
たか子さん:私、もたないかもしれない(笑)。
幸子さん:あんたは誰より大丈夫だわ(笑)。ここの仮設入ってる年寄りはみんな丈夫だよ。みんな風邪も引かないで、元気だよ。
たか子さん:まぁねぇ、90歳過ぎた元気な人いっぱいいるからね。
照子さん:そう考えたら、私たち頑張って布ぞうり編まないと(笑)。
──そうですよ、若手なんだから!
たか子さん:若手は…言い過ぎだなぁ(笑)。
幸子さん:いや、若手だわ(笑)。わからなくなったら、もっと若手の及川さんに電話すれば何でも教えてくれるから。
照子さん:ほんとでもね、ありがたいことに、知らず知らずここへみんな集まるようになったの。仮設の集会所で布ぞうり編んでるのがなごみ会だけだから、それでっていうのもあるのかな。南三陸からも及川さんだけじゃなくいろんな人来るし、布ぞうりを通じて仲よくできて楽しいよ。
インタビュー&文 ・ 斉藤 ユカ (2015年8月取材)
● Information
インタビューを担当してくださった斉藤ユカさんが、老猫との生活について様々なエピソードを書いた本「老猫と歩けば。」を出版しました。
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