編み手インタビュー vol.1 及川 八千代(南三陸ふっくら会)
及川八千代さんは、震災後の早い段階から手仕事としての布ぞうり製作に取り組み、いつしか編み手さんたちのリーダー的存在となりました。三人の娘さんを育てるお母さんですが、編み手さんたちが集う日には各拠点に顔を出し、みずからも日々製作に没頭しているという、とてもパワフルな女性。彼女の明るい笑顔が、今日も周りのみんなを元気にしています。
──震災前、及川さんはどんな生活をしていましたか。
及川:会社員をしていました。実家が南三陸町で養殖業を営んでいて、いずれは私が後を継ぐつもりだったので、旦那さんにはお婿さんに入ってもらったんですが、しばらくは二人で会社勤めをしようということになっていたんです。なので震災当時はまだ両親とも同居していなくて、志津川のアパートに娘たちと家族四人で暮らしていました。
──地震に遭ったときの状況は?
及川:その日はたまたま休みだったんです。旦那さんが数ヶ月に一度あるかないかの夜勤明けだったので、ゆっくり寝られるようにと、私は当時二歳だった真ん中の娘を連れて、隣の登米市に買い物に行きました。地震がきたのは、スーパーの駐車場に停めた車の中にいたとき。怖かったですよ。車がぼんぼんと叩き付けられるように揺れて、目の前の地面が割れていくんです。落ちるんじゃないかと思ったけど、ずっと揺れているからどうすることもできない。ただシートに座って、娘を抱き締めていました。
揺れが収まってから、すぐに旦那さんに電話をしましたが、通じなくて。で、こういうときはメールだ!と思って「大丈夫?」と送信したら、すぐに返信が来ました。中学一年だった上の娘も、学校が高台にあるから大丈夫だろうと思いました。だから私は、とにかくそこから逃げよう、と。大きな地震だったから、きっと津波が来るだろうと思ったんです。
──地震のあとに津波が来るということを、この地域の人たちは教えられて育っているんですね。
及川:そうですね。南三陸町はチリ地震津波を経験していますので、大きな地震のあとには津波が来ると教えられていました。あの時も、これだけの大地震だから、相当大きな津波が来るに違いないと直感的に思ったんですよね。ただ、登米市にはあまり土地勘がなくて、どこが高台かもわからなかったので、とりあえず市役所に行きました。職員さんに「隣の体育館が避難所になるはず」と言われて、しばらく市役所の駐車場にいたんですが、暗くなってくるし、雪も降ってくるし、一晩車の中で子供と過ごすことを考えたら、不安で仕方なくなって。そこで、妹の家を目指すことにしました。妹が嫁いだのは、同じ南三陸町でも山のほうだったので、そこに行けば何とかなる、と。大変でしたけどね。信号が消えているのであちこち渋滞しているし、道路は陥没したり隆起したり、橋が地震の影響で通行止になっていて大幅に迂回しなければいけなかったり。やっとの思いで辿り着いて妹の顔を見たとき、思わず腰から崩れ落ちました。自分では気づかなかったけど、相当に気を張っていたんでしょうね。
──ご家族は、みなさん無事で?
及川:はい、幸いにも。私の両親は海沿いで仕事をしていたので、もしかするとダメかもと思っていたんですが、三日後に母が妹の家までやって来ました。父も無事でした。養殖場はすべて津波に流されましたけど、家も高台にあったので大丈夫でした。ただ、私たちが住んでいたアパートは、外壁だけしか残りませんでしたね。見事に何もなくなりました。
──それでも、ままならない生活が続いたんですよね。
及川:旦那さんの実家が、妹の家と同じ地域にあったので、私たち家族はそちらに移ったんですが、だんだん食料がなくなっていったのがつらかったですね。物流が止まっているから、買いに行くこともできない。大人は我慢できるけど、子供はそういうわけにはいかないですもんね。でも、だからといって避難所に行って「食べ物をください」とは言えないんですよ。すべてを失った人がいて、その人たちを支援するために届けられた物資だから、私たちはもらっちゃいけないと思ってた。もちろん、その状態が続くわけはなく、一週間後ぐらいから少しずつもらって、近隣の一軒一軒に分けるようになりましたけどね。
あのときは本当に複雑な心境でした。夜もうなされて全然眠れなくて。会社はどうなったんだろうとか、安否のわからない友達はどうしているだろうとか、これからどうやって生きていけばいいんだろうって。寝ているのに、自分のうなされる声が聞こえてくるぐらい、気が休まらない日々でした。
──その後、及川さんのご実家のほうに家族で移ったんですよね。
及川:自衛隊が仮の橋を作ってくれて、実家に行けたのが3月29日でした。幸い、家族みんなが無事で、夫婦それぞれの実家も残ったし、職場も被災しなかったので私たちには仕事もあったんです。本当に幸運だったんですよね。ただ、私の両親はずっと海で働いてきた人たちなので、大変な落ち込みようでした。船は父が沖に避難させていたので無事だったんですが、養殖場はすべて流されてしまったし、海の復興は先が見えない状態でした。そんなときに、布ぞうりと出会ったんです。
──最初は、被災地支援の一環として行われたワークショップでした。
及川:2011年の8月でした。母と一緒に参加したんです。お母さんも何かやることがあれば、少しは気が紛れるんじゃないか、と。復興を待つ間に何でもいいから手仕事のようなものを身につけて、収入を得ることが大切なんじゃないかと思っていました。だから渡りに船と思ってワークショップに参加したんですけど、実際に布ぞうり作りを体験してみたら、これがすごく楽しくて。その時の布ぞうりの先生に、手仕事をしたいということを伝えたら、すぐに布ぞうりのキットを送ってくれて「9月末のバザーに出品するので作れるだけ作ってみて欲しい」と。つたないながら、10足以上は作りましたね。その売り上げが2万円近くあったんですが、先生が「次に繋げるためにこのお金で布を買いますね」と言って、送られてきたのが布ぞうり200足分ぐらいの材料だったんです。そうなったら、もうやるしかないよね、言い出しっぺは私だし(笑)。そのうち、宮本亜門さんのミュージカル『アイ・ガット・マーマン』上演時に、ロビーで販売していただけることになったりしたので、とにかく編んで編んで編み続けました。
──結果的に、及川さんは他の編み手さんたちに布ぞうりを教える立場としても活動することになります。
及川:最初は仕事をしながら編んでいたんですけど、布ぞうりを本気でやりたくて、それで会社を辞めたんです。ようやく海が復興して、今は主人が両親と一緒に養殖業をやっているので、私も家の仕事を手伝いつつですが、あちこちの編み手さんのグループに顔を出せるようになりました。仮設のおばちゃん達とも、編み方を教えるというよりは、お茶飲み友達みたいな感覚で、いつも楽しくお喋りしながら編んでいます。娘には「ママのお友達はおばちゃんしかいないね」って言われますけど(笑)、おばちゃんたちといるとすごく元気をもらえるし、癒されるんですよ。布ぞうりを通して、本当に人との繋がりが広がったんです。震災はつらかったけど、でも震災がなかったら出会えなかった人や、できなかったことも多い。だからプラスに考えています。震災があったから、今の自分がいるんだなって。
──そして、今ではすっかりプロの布ぞうり職人です。
及川:そういう職業意識を持ってやっています。商品となると、品質基準というものがありますから、そこは甘えられないです。まだまだなんですけどね、私も。布ぞうりって、本当に奥が深いんです。最初の頃は、編めば編むほど巧くなっていくのが目に見えてわかるので、とにかく楽しくて夢中で編んでいたんですけど、だんだん難しさがわかってくるんですよね。向き不向きがやっぱりあって、実際私が布ぞうりを始めるきっかけになった母は、早々に脱落してしまいましたしね。まぁ、私がダメ出しし過ぎたというのもあるんですけど(笑)。とにかく、妥協しない気持ちが必要なんです。これでいいやと思うと、それ以上伸びないじゃないですか。やっぱり、しんどいですけど追及し続けないと。
──すべてのモノ作りの基本ですね。
及川:そうですね、満足しちゃダメなんだと思います。そこが手仕事の難しいところだし、面白いところ。私もずっと作り続けているけど、本当に納得のいくものは作れたことがないですもんね。色合わせとかデザインにしても、イメージした通りに出来上がることってまずないんですよ。イメージ通りだったのは、今までで1足だけかな。
──では、及川さんが考える布ぞうりの未来は?
及川:商品として販売を続けるというのは大前提ですが、それとは別に、自分で講習会を開いて、布ぞうり作りの楽しさを共有したいなと思っているんです。職人としての編み手さんを増やす目的だけではなく、単純に作る楽しさをより多くの人に伝えたい。震災後は、みんながそうだったと思うんですけど、趣味や楽しみに時間とお金をかけられなかったんですよね。でも、まもなく4年が経って、そろそろ楽しんでもいいんじゃないかな、と。それに、いろんなところでいろんなものを支援していただいて、被災地の人たちはちょっと支援慣れしちゃってたところがあるんですけど、最近はようやくそういう感覚も薄れてきて、好きなことは自分でお金を出してでもやろうって思えるようになってきた気がするんです。だから今こそ、この楽しさを多くの人に感じてもらいたいなと思うんですよね。
インタビュー&文 ・ 斉藤 ユカ (2015年8月取材)
● Information
インタビューを担当してくださった斉藤ユカさんが、老猫との生活について様々なエピソードを書いた本「老猫と歩けば。」を出版しました。
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